東京の旅2023.12 ~村正派双騎編~
ミュージカル『刀剣乱舞』 千子村正 蜻蛉切 双騎出陣 ~万の華うつす鏡~ を見るために、東京に行ってきました。
今回はメインイベントの村正派双騎について書きます。観光編はこちらからどうぞ。
いつもより文章の量が多いので、どうぞ、お時間のあるときに読んでくださいませね。
12月15日(金)の公演を見に行きました。
生まれて初めての生の観劇の経験を、刀ミュの中でいちばん好きな村正派(千子村正・蜻蛉切)に捧げられることが心から嬉しくて、光栄で、ありがたくて、この気持ちを何としてでも伝えたかったので、襟付きの白いシャツを着て行きました。
案の定、「ついさっきまで仕事してたけど、村正派のために休みをもぎ取りました」みたいな人になりましたが、そんなことはどうでもいいです。
というか、ぶっちゃけ、そんなコスプレ感すら楽しんでいました。
1部(ミュージカルパート)で蜻蛉切の歌声を聞いた瞬間、ゾワワワワ!!と、全身にものすごい鳥肌が立ちました。
同時に、鳥肌って、頭のてっぺんから足の先まで、こんなにまんべんなく立つものなんだな……と驚きました。
あの時のあの感じは、きっと一生覚えていると思います。
ミュージカルパートのお話は、個人的には、とても好きな感じでした。
というのも、実は私は、幼いころから「トムとジェリーのようにふるまう2人組が、精神世界で静かに愛し合う」みたいな妄想をよくしていました。
なので、「私がこういうの好きだって、なんで分かったの!?」……というのが、今回のお話の正直な感想です。
特に、「ワタシは千子村正」「いつか言っただろう」のシーン。
弱々しくて、悲しくて、寂しくて……、見ているこちらまで泣きそうになるくらい切ない感じが大好きでした。
これはあくまでも私の個人的な解釈ですけども、今回のお話は、「救う」「救われる」というよりも、「愛してるからそばにいたい」「愛してるからそばにいてほしい」という想いを、2振りが自分の心の中から見つけ出して、その想いをお互いに確かめ合うお話なのではないかと思います。
それでいて、「好き」とか「愛してる」とかいう言葉が、この作品、多分、一度も出てこないんですよ。うまくいえないんですけど、私は、その手の「美しさ」に本当に弱くて、もう……、最高です。
深く考えようとすればするほど、最高とか、美しいとか、そんな言葉しか出てこなくなります。
それくらい、このお話の虜になりました。
2部のライブパートでは、まさかのコール&レスポンスがあって、自分でもよく分からないくらいテンションが上がりました。
声を出して歌うなんて、私にとってはおよそ十数年ぶりのことでしたので、めっちゃ久々だったけど、多分そこそこ正確に歌えた、何より、奇跡のような瞬間にためらわずに声を出せた、よかった……と安心していました。
それも束の間……。
コーレスなので、当然といえば当然なのですが、観客の私たちの歌声を、2振りがまるっと引き継ぐ形で歌の本筋に戻してくれるんですね。
そのことに、言葉では言い表せないくらいの感動を覚えました。
ここになって初めて、「村正と蜻蛉切と同じ空間に私がいる」という実感がわいてきて、「おおおお、これが、これこそが『現地』……!!」ってなりました。
あと、村正からファンサービス的なやつをもらいました。
2振りがステージから客席に降りてきてくれる曲の中で、なんと、村正が、私の座っている席のすぐそばまで歩いてきてくれて……、本当に、1.5m先に村正がいる!という状態になったので、「村正、会いに来たよ!!」というありったけの気持ちを込めて、ペンライトを振ったんです。
そうしたら、村正が、そう、あの村正が、私と目を合わせてくれて……、それから、それはもう、嬉しそ~~~うな顔で、ニコ~ッ!と笑ってくれたではありませんか……!!!
もう、めっちゃ、めっちゃ、めちゃめちゃかわいくて、絵画みたいで、女神さまみたいで、うさちゃんみたいで、オイコラ、この子のどこが妖刀だ、こんな、まるで花が咲いたみたいに笑う子に向かってふざけたこと言いやがってコノヤロー!!ってなりました。
今回の公演を見て、生の芝居、生の歌にももちろんものすごいパワーを感じましたが、それと同じくらい、公演が終わった時の観客の拍手の音の厚みに圧倒されました。
これは本当にどうでもいい、超個人的なことですが、千子村正役の太田基裕さんと蜻蛉切役のspiさんは私と同い年なので、そんなふたりがこれだけの賞賛を受けながらおじぎをする姿を見て、とても誇らしい気持ちになりました。
いや、正直にいうと、これだけのものを浴びせられて、ふたりともよく立っていられるな……本当にすごいな……と思いながら、この気持ちすらも届けばいいと願いながら、私もまた拍手を送りました。
東京から香川に戻ってきて、自分が公演の内容をほとんどといってもいいくらい忘れてしまっていることに気付き、激しく落ち込んでいます。
この目で見たもの、一生忘れたくない思い出が形に残らない、そのことがつらく、もどかしいです。
でも、考えてみれば、DVDやBlu-rayは確かに「形に残るもの」ではあるけれど、観客ひとりひとりの視点や、記憶や、感情のすべてを網羅しているわけではないのですよね。
「現地」を浴びるまで分かりませんでしたが、生で見た人たちにとっては、なんというか、円盤は、形に残っているようで残っていないんですよね。
これって、私が書いているような文章にもいえることだと思います。
自分の感情のすべてを正確に書ききることなんてできないし、ましてや、文章を通して、自分の感情のすべてが、読んでくれた人に1%の狂いもなく正確に伝わるなんて、あり得ないんです。
文章は、いや、きっと、この世の「表現」のすべては、自分の感情や経験をそぎ落としてできた「しぼりカス」のようなものなんだと思います。
重ねていいますが、私にとっては、村正派双騎の現地に行かなければ分からないことでした。
なので、残らないなりにも、残せないなりにも、そのことだけはよく覚えていようと思います。
Thanks for your time!